テントで生活しながらwebライター、講師の佐々木ゴウの簡単な経歴
千葉県千葉市出身
県立千葉高校を卒業し、早稲田大学法学部に入学。
新卒で超大手であるNTTに入社。上海にて駐在。3年でNTTを辞め、ベンチャーのECコンサルに転職。
クラウドソーシングを活用してwebライティングで稼げるようになり、独立。
独立半年で月商100万突破。
ゆくゆくは「子供の選択肢を増やす塾」を建てたい。
現在の仕事はこんな感じ
・webライティング(ネットショップ、新卒採用、転職、教育関係、海外(特に中国)関係の記事が多い)
・webサイト作成(ワードプレス)
・初心者ライターのコンサル
・ワードプレス初めの一歩の講師
・格安SIMのコンサル
普段の情報発信はSNSでもやってるのでフォロー、友達申請歓迎です!
・twitter:佐々木 ゴウ (@goh_ssk) | Twitter
・Facebook:佐々木ゴウ
■講師実績
・2017年2月クラウドソーシングを使って月1万円稼ぐ講座
・2017年週末フリーランス養成講座(主催、講師)
内容
ワードプレスを利用したwebライティング
ワードプレスを利用したサイト制作
3月より毎月開催し、2018年3月で10回目くらい
・2017年5月〜
田舎フリーランス養成講座講師や統括
・関わった拠点は
千葉県いすみ市
鹿児島県頴娃町
山梨県都留市
■経歴詳細
さて、そろそろ経歴に入っていきます。年上に惚れ続けた人生でした。
<幼年期:好きなものはサッカーと人妻>
生まれたのは新宿の病院。なんと生まれるのに30時間以上かかり、死にかけるというハードモードなスタートでした。
アレルギーと呼ばれるアレルギーはすべて持って生まれ、喘息対策にサッカー始めます。
ちなみに初恋は人妻。(はな組のおともだち。わたなべくんのお母さん)
次の恋も人妻。(もも組のなかむら先生)
<小学校時代:お金に目覚める>
・幼稚園からやっていたサッカーが花ひらき、実は市選抜の選手(ベンチ)
でも、6年生の後半にどうしてもサッカーが嫌になり、突然辞める。
小学生時代には3つの大きな出会いをします。
1つは『金持ち父さん貧乏父さん』という本に出会ったこと。
資産をためて、お金に働いてもらうという考え方に大きな衝撃を受け、複利の力をしり、早くお金を稼ぎたくてたまらなくなりました。
(もちろん当時はこの本がマルチ商法のバイブルなんて知りません。危ないところであった。)
そこでやったお金稼ぎは2つ
「遊戯王カード事件」
遊戯王カードの人気絶頂期。
町で行われたフリーマーケットの話です。
自分と友達。子供だけで出店し、自分達のカードを一旦すべて売り払う。
そしてそのカードを売ったお金で他のフリマ出店者のカードを少しずつ買い占める。
当日、フリマ内で販売しているカードを独占。
それを高額で売りさばいた結果、10万円以上稼いでしまう。
その日から、町から子供だけの参加が禁止。
事件扱い。
「ふたりエ〇ッチ買い物代行」
次に目を付けたのは、皆欲しいけど恥ずかしくてなかなか購入できない、男の子のバイブル
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『ふたり〇エッチ』
恥じらいのない佐々木。
500円で売っている二人エッ◯チを購入し、友達に600円で売る。
購入を代行し、手数料で稼ぐ仕事を思いつきます。
ただ、友達の数だけしか売れません。マーケットは広いところを狙わなければならないことを学びました。
2つ目が塾
このころに初めて塾に通い始めました。普段あまり知り合えない若い女性が先生をしてくれる環境が楽しくて、勉強が好きになってきます。
環境って大事。
3つ目が小説『15少年漂流記』
アザラシの脂を集めてろうそくを作ったり、自分たちで洞窟をほりすすめて住居を作るなど、男の子の冒険心を全力でくすぐる物語でした。
読んだのはもう20年以上前なのに、まだストーリーを覚えているほど。
<中学生時代:年上好きに拍車がかかる>
中学時代はとにかく様々な年上に惚れていました。
・部活の先輩に惚れ、大会優勝
中学1年で入ったバスケ部はレギュラーが取れなさそうだったので、一瞬で辞めます。
その代わり、きれいな女性の先輩が多いテニス部に入部し、一通り全ての先輩に惚れました。
うまいとモテると思い、必死に練習。
大会で優勝したり、県大会にでたりします。
付き合ってはもらえませんでした。
・塾の先生に惚れ、偏差値が80オーバー
ただ、テニス部に綺麗な先輩が多いといっても、所詮は中学生。大人な魅力の塾の先生の魅力にはかないません。
一番きれいな先生(いつもシャンプーのいいにおい)が国語の先生だったので、国語に命を懸けるようになります。
近距離で質問をするために、他の生徒がついてこれないような沢山の難題を解き、答えを一緒に考える時間と先生の香りを楽しむ日々でした。
また、自分の成績が上がることで先生の評価も上がることに気づき、さらに頑張る可愛い側面もあります。
そして気づくと国語の全国偏差値が80を超えていました。
でも、付き合ってはもらえませんでした。
さて、塾の先生が好きすぎるという理由で、急激に成績の高まっていた佐々木でありましたが、ここで人生を狂わすネットゲームに出会います。
ネットゲーム(スタークラフト)です。
<高校時代:ガリ勉のギャル男時代>
ネットゲーム(スタークラフト)の日本版はみんなとネットで会える時間が短い
(社会人が多いので、夕方から23時くらいまでしか遊べない人が多い。仕事があるから。)
そんな状態に飽きてきたころ、海外版を手に入れます。
英語ができれば世界中の人と戦える。
しかも世界各地で時差があるので、どの時間にログインしても、常に大量の人がいる状態。
その結果、本格的にはまり、中毒となりました。
目をつむると、常にゲームの画面が瞼まぶたの裏に見える状態。
常に、戦略・戦術を考える日々。
総プレイ時間は少な目にざっくり計算しても3年で6500時間。
多分もっともっとやっていました。
当然、浪人します。
・なぜかギャル男になる
この時期なぜかギャル男になります。
かっこいいと思ったから。それだけです。
まず「ギャル男」とは何かを調べ、実践。
靴が尖りはじめ、前髪を極限まで伸ばす
ついたあだ名は鬼太郎
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でも趣味は勉強。
好きな科目は現代文。
好きな作家は司馬遼太郎の歴史小説。
完全に「意識高いギャル男」の出来上がりです。
しかもこのギャル男、問題がありました。
それは「他のギャル男と馴染めない」ということ。
そう「ウェーイ」系が苦手なのです。
ただ、文字ばかりの日々につかれたのか、ふと会計士になりたくなり、簿記の資格をとり始めます。
そして税理事務所でインターン。
今考えると、16歳のギャル男をインターンに受け入れる税理事務所すごい。
あと、モデルの彼女ができました(人生初彼女)。
なぜかその流れで自分も一時期女性誌(kawaii)の読者モデルに(今は廃刊)
<大学:将来の方向性が少し決まる>
なんとかネットゲーム中毒を抜け出し、早稲田大学法学部に入ります。
好きな科目は物権法、著作権法、国際法
大学時代にまた人生を変える二つのものに出会います。
それが自転車の旅と、塾講師。
・ママチャリで旅に出る。
岐阜の祖母の家にあったママチャリがあまっている。
それを千葉にもらって帰るために、始めて自転車で旅に出ることになりました。
理由は覚えていません。馬鹿なんでしょう。
ただ、この自転車旅。
楽しくてたまりません。
次の春休みには、ママチャリで日本を縦断。
そして日本では飽き足らなくなり、台湾をママチャリで一周することになります。
・ものは試しと、派遣やアルバイトを17個やってみる。
ただ、旅をするにはお金が必要です。
せっかくバイトするなら色々試してみたいということで、17種類のバイトをしていました。
・コンビニ(サンクス、ミニストップ)
・エレベーターボーイ
・駅のホームで満員電車に人を押し込む駅員
・塾講師
・凍ったケーキについている霜を飛ばすだけの仕事
などなどなどなど
そしてここで塾講師に出会います。
個別指導で指導していた生徒の成績がぐんぐん上がることで、勉強は能力ではなく工夫だと気づきます。
<社会人:色々ためす>
基本的に色々と挑戦してみたい気持ちが強いので、大企業もベンチャーも海外駐在も独立もやってみたい期間です。
暗黒の大企業時代
まずは大企業に入ってみようと考え、NTTに。
世界中に支社があり、海外を含めると従業員が2万人、売り上げが1兆円を超える大企業でした。
まずは大阪に配属。
早朝から深夜まで働く日々に疲れている中、家に癒しを求め、24歳で結婚。
次は上海に配属。
飛び込みと飲み会の日々に疲れ、あと会社に良い将来を感じられなくなり、退職。
大変だったけど、スキルが伸びたベンチャーコンサル時代
帰国後、代官山というとってもおしゃれな場所でベンチャーのEC(ネットショップ)コンサルティング会社に転職。
独立したい欲求と、将来的に塾を建てたい欲求が高まる中、奥さんと意見が合わなくなり、色々あって離婚。色々あったんです。
在職中から始めたクラウドソーシングを皮切りにwebライティングで生活費が稼げるようになったので、退職。
大変だけど楽しくて仕方がない今
実は家ってなくても生きていいけるんじゃ?と思い、webライティングで生活費を稼ぎながらテントで生活していました。
今では紆余曲折会って千葉県いすみ市に移住。
hinodeというコワーキングスペースの店長の傍ら、
・ライティング
・メディア編集長
・田舎フリーランス養成講座の運営
・家も手に入れたので、シェアハウスの運営
などを行っています。
今は胸を張って「幸せだ」と言えるのですが、ここまでご覧の通り色々ありました。
とはいえ色々あった故に伝えられることってたくさんあるし、それを人生の早い段階で子供に伝えたいと思っています。
そんな思いをありったけ込めて書いた記事がこちら▼です。
ぜひこれだけでも読んで欲しいです。